8月2日の書庫

本の感想を書くブログです。

千葉雅也『デッドライン』感想

 千葉雅也さんの『デッドライン』を読みました。

デッドライン

 

 千葉さんの著作は『勉強の哲学』『アメリカ紀行』以来3冊目です。

 『アメリカ紀行』は自分の中でもかなり好きな本で、断片的に並べられた思考の泡が浮かんでは破裂していく感覚、章が短い構成などは自分が書きたい文章に近い。私もこんな風に、日記とか書ければいいなと思っている文です。

 『デッドライン』は『アメリカ紀行』のぽつぽつ感の延長にある小説だなと思いました。場面転換が細かく、その塊には様々なアイテムが散りばめられている。ドトールのアイスコーヒーとジャーマンドック、オレンジのジャージ、緑色の携帯、鏡月グリーンの烏龍茶割、ブロッコリーロイヤルホスト。それらのモノは周囲の空気を取り込んで生成された結晶体のように美しいものです。モノをそのように取り扱うことが私はとても好きです。フェティシズムに似ている。

 修論のデッドラインを超えるか超えないかの切迫感とその結末も見事でしたけど、デッドラインについて印象的だったのは、途中で親友のKと夜中のドライブで赤信号を破ってしまった時の描写。赤信号に気づいていたのは○○とKだけであり、多分夜だから周囲に咎める人の姿はいなかったと思うんですよね、つまり赤信号というデッドラインは完全に内的なもの(本来ならそれは不特定多数の人間たちが共生するためのルールなので外的だと思うけど)で、そういう個人の内側に引かれたデッドラインの存在を意識させる描写だったなと思います。赤信号を破ってしまったということを、破った後で気づく。このことは何を意味するのだろう…。私は、なんというかデッドラインって意識されなければデッドラインじゃないんだよな、ということを考えました。

 また徳永先生の印象的な話から中国哲学ってのも気になってきました。最近読んだ本が西洋哲学方面の本だったのですが、そういや中国にも哲学あったじゃん、と。

 

 私はこの本を書店で見つけて以来、何度も本棚から抜いてはパラパラめくり戻して買わずじまい…というのを繰り返していました。関心はあるのに、読めない。それは私にとって性的なことがある種の「ライン」であることに関係していて、ハッテン場などの描写がどこか苦手だったということがあります。では何故苦手に思うのか、そこに何があるのか…無意識下で考えていたのかもしれないです。別に明確な答えなど打ち出しませんし何か特別なことがあったわけではないですが、もっと早く買っても良かった。読んで良かったなと思ったので。勢いに任せてエイヤとレジに持っていってしまいましたが、レジに足を運びながら「買っちゃった(まだ買ってないですけど)買っちゃった買っちゃった線を越えたぞ越えた越えた」という言葉が頭の中をぐるぐる回っておりました。楽しかったです。本を買うことも経験なので、私が買った時のことも併せて書いておきます。