8月2日の書庫

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アガサ・クリスティー『ABC殺人事件』感想

 アガサ・クリスティーの『ABC殺人事件』を読みました。

ABC殺人事件 (クリスティー文庫)

 

 殺人というのはつくづく面倒な行いだと思う。

 

 以前森博嗣のVシリーズの一作を読んでいたとき、面白いと思う台詞があった。

 Vシリーズは没落した旧家の令嬢・瀬在丸紅子を主人公とするシリーズで、私はこの瀬在丸紅子という人物が結構好きで。多分彼女の言葉だと思うが、こんなものがあった。「殺したいか、それとも、消したいか。殺人の動機は、この二種類しかない。」なるほど、と思う。確かにそうだ。前者は殺すプロセスも目的の一つであり、後者は殺すことはあくまで手段。

 『ABC殺人事件』は、殺したいのか、消したいのか、どちらだろう?ABCの順番に人を殺していくなんて、規則性という意味ではある種美しいと思うけれど、実際は通常の殺人よりも面倒くさいこと極まりない。アサイさん(仮)の次は、ウドさん(仮)でもエマさん(仮)でもオバナさん(仮)でも駄目なのだ。イトウさん(仮)でなければならない。美しさと面倒くささを天秤にかけたときに、殺したい場合は前者が後者に勝つということを意味するのであり、殺人者ABCはそういう人物なのだろうか?

 

 個人的に面白かったのは、ABCの順番に人を殺めていくなんて犯人は常軌を逸した極悪非道な人間だ!と喚きつつ、途中までそのゲーム盤の上で動かざるを得ないポアロ側警察の無力さだ。アルファベット順で殺すということに嫌悪を感じつつ、それをあてにしないといけない。次はCだ。Cは誰だ?Dは誰だ?滑稽に見えても仕方がないし、蓋を開けてみると、AもBもD(?)もコース料理で言うメインディッシュにはあたらないなんてひどい結末。人を愚弄しているにもほどがあるなぁという点で、この『ABC殺人事件』は見事なストーリーもさることながら、今のところ私が読んだクリスティー作品で一番残酷で最低な犯人だなと思う。さらには、まったく無関係な一人の人間の人生を、ある意味、死より残酷、生きながらの地獄に叩き落そうとしているものだから…。

 ということで、もうこの際無邪気にABC順に殺してみたかったんです、と言ってもらった方がよほどすっきりする(しかし亡くなった数は変わらんのですが)嫌な犯人だった。面白かった。