『下戸の夜』を読みました。
タイトルの通り、下戸の本である。
下戸って上戸に対して下位に置かれている気がする~、というのは本の中でもちらほらあったけれど、改めて由来を調べてみると、語源は想像以上におぞましかった。
(「婚礼時の酒の量」ってどういう意味だろう。主賓が上戸や下戸だった時の場合なのか、それとも来賓の場合なのか。)
読んでて興味深かったのが、酒飲みに対する恨みつらみもあるにはあるけれど、多くの文章に酒を飲むことに対する温かい眼差しを感じられたこと。酒を飲まない人は酒を飲まない人の気苦労というのはもう今更語られることのない大前提なのかなと思った。
私の「酒」観は何だろうか。少し考えてみた。
私は酒を飲むことができる人間である。が、普段酒を飲むことはほとんどない。酒を飲むこと自体は嫌いではないが、飲まない方がパフォーマンスがいいし、飲むことでストレスが発散されることはない。本の中の武田砂鉄さんの文章に通じるところなら「酒を飲まなきゃやってられない生活スタイルは、多分どこかしら破綻しかけていると思うから一旦見直した方が健康的だ」と思っている、多分。そういう風にどうしても苦々しい語りになるのは、自分の身内で「ごめんねごめんね」と心にもない詫びを入れながらひたすら酒を飲んできた人間を見てきたからだと思う(ああ、書きながら腹が立ってきた、いつもは心にも浮かべないようにしているのに)。
ということで、言いたいのは、あなたの周りにいる人たちを悲しませるような酒の飲み方をしちゃいけませんよ、ってことか。ただ、そういうのも人間の悲しさってやつで温かい目で見ないといけないのだろうか。私にはよくわからないので、あんまり考えないようにしている。