8月2日の書庫

本の感想を書くブログです。

千早茜『男ともだち』感想

 千早茜さんの『男ともだち』を読みました。

男ともだち (文春文庫)

男ともだち (文春文庫)

  • 作者:茜, 千早
  • 発売日: 2017/03/10
  • メディア: 文庫
 

 

 「無い」ということを証明するのって難しいと思うのです。

 だから私は、「男女間の友情は絶対成立しない」とは思えない。それを証明することはとても難しいから。ひとつでも実例が提示されれば、「男女間の友情は絶対成立しない」は覆るのですから。

 確かにこの小説は「男ともだち」の小説です。だけどもう一つの軸として、これは神名葵という女性が自分の仕事の、生き方の道を見つける、探る物語です。読み始めた当初、意外に思いました。「男ともだち」というタイトルでありながら、神名が絵本作家・イラストレーターとして苦悩する姿が描かれていたから。この2つの軸が交錯しお互いに干渉し合う様が読んでいて面白かったです。

 それにしても、「男女間の友情は成立するの?」でざわざわしてしまうのは、「そうありたい、でも、ありえない」という嘆き故なのでしょうか。私は友人を作るのが不得手なので「男だろうが女だろうが、友だちってのは難しいぜ☆」というちゃぶ台返しみたいな感想になってしまいます。

 友人って難しいですよ。本当に難しい。でも、いてくれたら心強い存在なんだろう。いたいから一緒にいる、それでいいじゃないですか。ハセオも神名がいるから自分を保てている部分があるのではないか?それでいいんじゃないですか。駄目かな。

 

 ああ、最後に言いたい。私は単行本を読んだのですが、装丁が最高でした。

ジュンパ・ラヒリ『見知らぬ場所』感想

 ジュンパ・ラヒリさんの『見知らぬ場所』を読みました。

見知らぬ場所 (新潮クレスト・ブックス)

見知らぬ場所 (新潮クレスト・ブックス)

 

  もう2020年はジュンパ・ラヒリの年。ということで立て続けにその作品を読んでおります。

 8編の短編が集められた作品です。

 ラヒリ作品の特徴として、私の中では「ずっと読み続けていたい」というところがあります。とにかく情景と心情描写が巧み。そして自然。文体は簡素なので引っかかるところもなく、文章が心にじんわりと沁み込んでいく。たっぷりと水分を含んだスポンジのような作品だなと思います。潤います。

 またこれは8作すべてに通じるのかなと思いますが、人生の混沌をそのまま描くというところも見事です。

 

 人生には様々な選択があるだけで、その選択が正解なのかどうかは誰にも、当事者にも、判定できないものだと思うのです。でも誰にも下せないその判定とやらを、私たちは常日頃、人生において求めてしまう。それはそうした方が幸せだと言われているから、というのもあると思います。「正解は良いことだ」という価値観にひたひたになったシステムを潜り抜けてきたからかもしれません。

 人生にあるのは選択とその結果起きた出来事です。それは正解でも不正解でもありません。ラヒリの小説は、数々の選択の結果を淡々と綴っているような気がします。そしてそれが堆積していく感覚。そこに書き手の「こうあるべき」という眼差しは不在です。

 「そうあるべきだよね?」から逃れるのが小説であり、多くの物語は決められた枠組みを疑い抵抗し解放されていく、そのプロセスを書いていると思うのですが、ラヒリの小説は本当に「こうあるべき」という思想が薄くて、だから読んでいて安心するのかもしれません。食卓のシーンが登場するのも好きです。やっぱり食べ物の描写を読むのが好きなんだよな…私。

 

 ということで、8作ともどれも素晴らしかったです。満場一致で賞を受賞したのも頷けます。

森博嗣『小説家という職業』感想

 森博嗣さんの『小説家という職業』を読みました。

小説家という職業 (集英社新書)

小説家という職業 (集英社新書)

 

  ううう面白かった…。書かれていること、わかる。わかる、けど。

 ぱらぱらと流れるように読んでしまったので(それが私にとっての新書)ちゃんと自分のなかに落とし込めているか怪しいけれども、書かれていることどれも「そうだな!?」となってしまう。
 言ってしまえば、私は小説を書きたい。小説を書くことが自分の中で自然であればいいのに、いう風に思うようになったのがここ1年くらいで。なかなか道は程遠い。今の私にとって小説を書くことは、まったく自然なことではない。

 書けばいい。その言葉はエールだ、と私は思う。

千葉雅也『メイキング・オブ・勉強の哲学』感想

 千葉雅也さんの『メイキング・オブ・勉強の哲学』を読みました。

メイキング・オブ・勉強の哲学

メイキング・オブ・勉強の哲学

 

  『勉強の哲学』がどのように作られたのか、語る本書、『勉強の哲学』の実践例と言うこともできそうです。

 私はこの本をいつどこで買ったのか覚えていて、買った帰り道で一気に読んでから実に1年ぶりぐらいに読み直しました。買った当時のモチベーションなどを思い出します。「本を買う」って書かれている内容、コンテンツを楽しむだけじゃないところが好きです。

 有限性の設定、自分の享楽も有限性の一つであり、そこから自分なりのメタゲームを作っていくこと。紙、デジタルノート、アウトライナー(ツール)を駆使すること。ひとつの細胞、宇宙と捉えることができる情報カードの可能性。このあたりが自分の中でワクワクした点でした。既に自分の作業の中に組み入れています。

 そして作者の千葉先生のノートを見ることができるのも興味深かったです。特定の職業や立場の人でない限り、自分以外の人の手書きってなかなか見る機会が無いもので。

 これは手書きデジタルに問わずですが、自分以外の他者に見せるかどうかで書かれる内容も表現も変わる、ということを常日頃実感していて、「このテキストは誰に見られうるのか」ということも「有限性」というか枠のひとつになるような気がします。その枠があるからこそ押し上げられる表現と、排除されてしまう表現がある。このテキストも然り。なので、同じようなことを書くにしても、対自分、対他者と相手を複数想定して書くのが結構楽しいです。その点、私は本の感想を書く際に、まず紙のノートに好き勝手にまとめて、その後にブログに書く、というように段階を分けているのですが、これも媒体と相手を別にしているのだなー、多分この制度はそれ以前から行っていたことではあるけど、去年ちらっと『メイキング・オブ・勉強の哲学』を読んだ影響もありそう…。面倒ですけど楽しいです。

 ということで『勉強の哲学』とこの本はおすすめ。色々な人に読んでほしいし、読んだ感想を語りあいたいものです。

イーユン・リー『千年の祈り』感想

 イーユン・リーさんの『千年の祈り』を読みました。

 

千年の祈り (新潮クレスト・ブックス)

千年の祈り (新潮クレスト・ブックス)

 

 

 いや…難しかった。最近ちゃんと感想を書くようにしているけれど、書こうとすればするほど自分の無学というか無知というか「なんもかんがえらんねえ」という状態になり悲しくなります。でもそれが事実だしそこから始めなければならないのだから、格好つけず率直にこれからも感想を綴っていけたらいいな。 

dorian91.hateblo.jp

  に次いでリーさんの本は二冊目。この本に収められている短編で様々な賞をとられたということで、濃厚濃密な短編集だったと思います。お気に入りは特に『黄昏』『息子』『縁組』あたり。

 どうしたらこのような話が書けるのだろう?と思います。これはリーさんが特別ってわけでもないですが、言葉で説明しきらない、むしろ話したことや起こったことの積み重ねで語られないことを描こうとする、ってのがすごいです。じゃあ結局どうだったの?と聞かれ、「○○でした」と説明するのは文中の言葉からではなく読み手の脳内で絞り出した何かでしか語れない、そういう小説です。

 中国で生きるということ、生きたということがひしひしと考えられます。中国共産党の存在感。抑圧というのも読みながら感じました。いやー難しかった。十年後、リベンジしたい。

大前粟生『ぬいぐるみとしゃべる人はやさしい』感想

 大前粟生さんの『ぬいぐるみとしゃべる人はやさしい』を読みました。

ぬいぐるみとしゃべる人はやさしい

ぬいぐるみとしゃべる人はやさしい

 

 

 「ぬいぐるみとしゃべる人」は「    」。

 「    」に入る言葉は、「繊細」でもなければ「傷つきやすい」でもないのだな、と思いました。「やさしい」なんですね。しかも「優しい」ではなく「やさしい」。

 

 ぬいぐるみとしゃべる人たちが集まったサークル。そのサークルに所属する、ぬいぐるみとはしゃべらない人、七森と白城と、ぬいぐるみとしゃべる人である麦戸のお話。

 読み終えてしばらく考えたのち、ぬいぐるみとしゃべる人、しゃべらない人が、他者と話せるようになるまでの話だと思いました。ぬいぐるみは拒まない。でも他人は自分を拒むかもしれない。わかってくれないかもしれない。その恐れを克服するというか、そんなこと考えなくてもいい他者を見つける話なのかな。

 そして彼らはやさしいから、他人の「ぬいぐるみ」であろうとする。あることができる。でもそれはとてもハードなことだから物語の最後の一文になる。私はこの小説の最後の一文が好きです。

  私は他人の性質とか属性とかを言葉で表現することが苦手で、やさしいとか繊細だとかそういうことも考えるほど意味がわからなくなる。私は七森が、麦戸ちゃんがやさしいのかわからないです。でも七森がしんどいと思っていること、麦戸ちゃんがしんどいと思っていることはきっと同様に感じる人も多く、その描きっぷりが素敵だなと思いました。知っていることを言葉にするってのは、案外難しいことです。

 

 この小説、難しいです。うまくまとめられません。読み易いけど、難しい。

多和田葉子『地球にちりばめられて』感想

 多和田葉子さんの『地球にちりばめられて』を読みました。

 

地球にちりばめられて

 実は先に、続刊『星に仄めかされて』を読んでしまいました。といっても登場人物たちは前作から通じて登場しているものの読みながらなんとなく事情はわかるし、『地球にちりばめられて』を読んでいなくても問題は無いです。

 今年から多和田さんの著作を読み始めましたが、いや~~~正直難しい。読みにくいとはまた違う感覚。どうもストレートに文章を読んでしまいがちで、多和田さんの個性であり魅力でもある表現に染まり切れないところがモヤモヤしつつ、しかし読んでしまう。面白いので。こういう表現方法があるのか…と驚きっぱなしです。

 私が好きだなと思ったところは、後半でHirukoがやっとのことで自分の母語を共有できる相手Susanooに出会ったところ。彼女の口から溢れんばかりに迸る言葉たち。もはやそれは、相手に共感してもらいたいとか肯定してもらいたいとか情報交換したいとか、私が普段行うコミュニケーションとは別物で、ただ喋っている、この言葉の意味がわかるだろうという確信を込めて球を思いっきり投げられる、その気持ちよさが前面に出てた。疾走感たるや。そうか、会話は言葉のキャッチボール、という例えがしっくりきた場面でした。母語を共有できないということは、自分の得意なフォームで思いっきりボールを投げることができないということになるのかなぁ…わからんな。

 でも自分が慣れ親しんだ言葉から離れて、言語の壁を越えて旅をしていく人々の姿も描いている。面白い。

 

 僕はハマチという名の魚に目を付けた。ハウマッチみたいで面白い名前。(p.24)

 これが多和田さんの表現。とても面白い。